青春バイク 2台目

一台目はホンダのメッキゴリラでしたが、2台目となるバイクお話です。

メッキゴリラを売った後間髪入れずに中型バイクを探しましたが、売ったお金と持ち合わせを足してもたかだか10万程度しかなく、バイク屋を回ってもちょうどいいのが見つかりませんでした。
当時はネットなんてないので足で探すか、バイク雑誌の売買欄が頼みの綱でした。そして売買欄に10万で出ていた古いCBが目に止まり、トントン拍子にその日のうちに見せてもらう事になり、その日のうちに買って来てしまいました。
それが2台目のバイクCB350Fです。

またまた中古車屋からの転載です
時は1970年代の終わり辺り中型のホンダ車といえば、ホークですね。
コムスターホイールで今見るとなかなかかっこいいですが、当時はヤカンタンクに座布団シートと酷評していました。それにまたはCJ360もまだ売っていましたかな?


しかし既に4発は発売が終わっていて、最後の4発CB400Fは既に高嶺の花。どうしても4発に憧れていた自分は中古で見つけた4発で買えるのは当時は華がなかったCB350Fだけでした。他のメーカーもまったくこの時点では4発は発売していませんでしたし、あったのはイタリアベネリの4発だけで外車は買えるはずも無く論外でした。こないだ行った茂木にあるホンダの資料館になんとCB350Fは並んでいませんでした!!!w 残念!w

ベネリ350、自分のcbもフロントフォークがこのようにテレコスピックになっていたので すごく似ています。
 このあとちょっとしてFXとXJなどが売り出され、またまた4発ブームが来るのですが、この時点ではまだ未来の話でした。

色は写真と同じ赤でしたが、フロントフォークはベネリみたいにCB400Fのが付いていて、ゆくゆくはCB400Fの姿にカスタムするつもりでしたので、最高の素材を手に入れる事ができました。今の時代からは考えられないでしょうか、この時代は改造にかなりの制限ありまして、マフラーはもとよりハンドルも交換する事はできませんでした。なのでたとえCB400Fにそっくりにしても戻さないと車検をとる事は難しいという厳しいじだいでした。手に入れてから1年で車検が切れるのですから、貧乏な高校生がカスタムするなんて夢のまた夢の話しですね。なにしろ車検代すらなく、アルバイトに精を出してやっと車検とれたぐらいでしたから。今見たいにユーザー車検があればいいのですがね〜。
 しかしこいつにも海に山にいろんな所に連れて行ってくれましたね。でも本当に良く行ったのは六本木ですね。w 高校2〜3年時学業もおろそかに夜な夜なディスコに行く様になってまして、その足としてこいつは本当に役に立ちました。夜中こいつでナンパもできましたし!!w 車と違いますが、同年代から下はバイクでもかなり喜んでくれましたね。良い時代です。w

さてこいつの最後なのですが、高3の夏休み自分は進学は考えていなく家業を継ぐか六本木に骨をうずめるか、海外留学をも視野にいれ、日々遊んでいたのですが、w 。
当時府中で流行っていたゼロヨンを観に行き感化され、いつでもどこでもスタートの練習や素早いギヤチェンジの方法を模索していた過程で、やってしまいました。信号の無い交差点までに減速できず、交差点通過中 車のフロントにバイクの後ろを引っ掛けてしまい
すっ飛ばされてしまいました。交差点向かいの家の壁にまで飛ばされてしまったのですが、運良くそこは金網でそれがクッションになって怪我はヘルメットが飛ばされていたにもかかわらず、頭に数センチの縫い傷とあとは擦り傷打撲だけですみました。しかし後日現場を見に行くと、あと数センチずれていたら頭からブロックに当たって死んでいたかもしれませんでした。日頃悪い事ばかりしていましたが、この時は運命に感謝しましたね。

で、バイクは廃車にはなるほどではありませんでしたが、もう気分的にバイクはもういいかなってことになり後輩に8万で売っぱらいました。事故車を8万は高いとお思いでしょうが、当時は4発ブームがき出していて誰もが4発に乗りたがって結構の高値でも売れましたね。ハンドルとマフラーだけがダメで後は問題なかったのも売れた要因でしょう。だれもがその部分は改造する予定でしたしね。
そうしてこれが2台目のホンダCB350Fの最後となり自分の中の第一次バイクブームは終わりを告げました。歳的にも18歳 で車の免許を取りに動き出したのも大きな要因でした。
でもよく考えるとここまでたった3年程度の話しですね。若い頃は1年がどんだけ長かったのか思いだします。いまじゃあっという間ですけどね。w

さて次にマイバイクブームが来るのが21歳ですね。また50から再スタートとなります。
その話しは次回に。

それでは、、、