2015年11月21日土曜日

青春バイク 9台目 涙のラスト!www

さて、最後の一台9代目マイバイクブラザース!
そう、前にレストアし、このブログにも書いた250TRです。是非前のページ参照してみてください。



これももともとはチビのバイクで、コカしてもういらないと捨てたのを見兼ねて、私が直して乗っています。こいつも長距離はつらいですが、10〜15km位での2ケツは楽々こなせますね。なので今近場の2ケツの時はこれを出します。

250TRが家にきたのはこれで2台目ですが、このバイク楽しいです。本格的なオフではないのですが、今までバイクでは越えた事の無い高さの段差をわざと超えて楽しんでいます。まあ2〜3段位の階段なんて余裕で登るんですね。楽しいです!!

バイクって楽しい乗り物ですよね。大好きです。
お金持ちではないので、高級なのとか希少なのとかのバイクは今まで一台も持ってませんでした。すごいバイクを持っているから楽しいと言う人もいるでしょう。でも私は私が楽しむ為だけのバイクは持ってました。そんなバイクライフも楽しいですよ。
さて、この9台が37年間の私の全車歴です。

みなさんも是非バイクライフを楽しんでください。

次回からまたなんかお題みつけたら書きます、それでは、、、、

2015年11月20日金曜日

青春バイク 8台目 

8台目となります。
また20年ぶりのヴェスパ復活です!今度は 87`vespa ET3 primavera です。
チビ一号が免許を修得し、一台目のバイクを悩んでいた頃友人が売りに出したの安く譲り受けました。これまた激安。自分安いものに目が無いようです!!w

友人はクルマやさんでして、オールペンされており、エンジンもクランク割ってのオーバーホール、新ピストン、スポーツマフラー、ハイグリップタイヤなどなどいじられ、ちょっと綺麗なバイクでした。ただ一度トラックに軽くカマ掘ったみたいでフェンダーが一カ所ブリっとなっていただけです。なのでかなり激安でした。どうせチビも初めてのバイクきっとこかす事なので、気にしない気にしない!ってことです。
で、本当にやりましたね、チビがしっかりコカしましたね。それも何度も!w でも気にしないが発動されていたので、OK 自分でちょっと叩いて修正して終わり〜!でした。

しかしこのベスパも良く走りますね〜 、90km程度は出るので、街中では普通に車に紛れて走れます。すりぬけすりぬけ!シグナルグランプリ〜!なんてことはもうしませんで、のんびり車の流れで走る気持ちよさをこのバイクは持っています。それでいてひとたびコーナーのあるような場所だと一段ギヤを落とし立ち上がり重視で!アクセルを!!なんてちょっとした遊びも出来ちゃいます。ただアクセルをひねるだけのスクーターとはちょっと違う乗り物です。

結局2年乗らずにチビはホンダの250ccに乗り換えて、こいつはお払い箱。丁度その頃下のちび2号が免許を取りに通っていたので、これで最初練習することとなり、これはうちに残る事となりました。 そしてチビ2号もこれを卒業し、今は私が乗っています。
近場半径5〜6Kmはこれを使っています。下北、渋谷辺りへのお買い物にちょうどいいんです。w





前に売ろうと思ってちょっとエンジン始動の動画を試し撮りが残ってましたので、どぞ!こんな簡単にエンジンかかります。ヴェスパ最高の実働車!w

私のかっこわるい姿は気にしないでください。www

それでは、次回は最後の一台、、、、

青春バイク 7台目

7台目になります。
これは現在所有しているバイクの内の一台です。
SUZUKI GSXR1100 L です。

今ならオリジナルカラーがかっこいいが、この時は大嫌いでした

身内の不幸がありふさぎ込んでもしょうがない、なら新しバイクでもという不思議な思考で購入。w
逆車なので高かったのでしょう最初は。でしょうというのも購入はレーサーレプリカ全盛が終わった後の90年代後期で8〜9年落ちの落ち目のバイクを探していてこれに行きついたわけで、激安、激安でした。今だとボロくて20万〜で状態がいいのだとかなりの高値になっていますね。でも当時は綺麗でも底値よりちょい安でした。ハヤブサが1年前に出発売されそっちに人気が移ったのでしょう。でもこいつも新車当時は110万位していたみたいです。
ポケットマネーで買えるセカンドバイクの安いバイクを探していたのでめっけ物。新潟のバイク屋さんのオニーさんのバイクだったそうで、そこまで取りに行って帰りに上越の山をぐるぐる走り、すげーバイクなのに、こんな安くて可愛そうなんて思っちゃいましたね。おれが手に入れなければ、きっと車庫で朽ち果てる運命だったのかもと思うと、愛おしくなってタンクをなでなでしちゃいました。w
(この後書きますが、私が車庫の肥やしにしちゃいましたけど!!w)

油冷独特のゴリゴリした音と全然レーサーぽくない乗り味、2速で街中ほとんどOK位の余裕のエンジン、なのに帰りの途中から高速にのってちょっと手首をひねってたら、ふええ〜まで加速!まだまだ余裕があるのですが、さすが大人ですし恐がりのオレにはこれでも十分。 それに上体伏せたら風全く来ない!!
ハーレーで慣れている身体にはカウルの効果にもびっくり!!
良いおもちゃが増えましたって思いましたね。これでつなぎを買ってお遊びでどっかサーキットで遊ぼうと思ってました。

しかしながら、ちょうど買ってから2回目の車検をとる前に化粧直ししたくなり、自宅塗装を試みましたが。これがいけなかった!!! 
場所も時間も制約がありすぎるとなかなかはかどらず、結局元色剥いで、サフェーサー塗り終わるまで2年もかかってしまいました。こうなるともうもっと手をかける時間が減っていってしまいました。

戦闘機のイメージでグレーにしちゃいました、実はオリジナルに戻したいw

近年、遊びも他に色々増えていたので、こいつにどんどん気が回らなくなっていってしまいましたね。ただ、今 上のチビも大型もっているので、これに乗る計画を立てていて、復活はあいつにさせる予定になりました。写真のやつがうちのチビ一号です。w
さて、、どうなるのか、、、まずは車検を取らねばね!!
そうそう、こいつのナンバーはまだ昔のをいかしています。まだ返納してません。
もうしゃけんがきれて9年近くなりますが、まだナンバーついてます。
これが誇りなんです。
当時のナンバーを残しつつでの復活が夢だったのです。そのため乗らないのに毎年税金を細々としたお小遣いからおさめております。

今年こそは!今年こそは!と毎年思っていますが、やっぱり言います。
今年こそは復活させたいです!!その時はまたご報告いたします。

それでは、、、

2015年11月18日水曜日

青春パイク 6台目 2

さて、前回の後、94年10月はれてHarley-DavidsonのDyna SuperGrideが納車されました。
これからが苦悩の連続である事もこの時点では気付かず、ワクワクドキドキでオートバイ屋さんに向かい初対面いたしました。しかし、、、、違和感が、、、
あれ、、、これがそう?あれ、、、、なんかイメージとちょっと違う。どこがどうかわからないけど、、、とちょっと疑問に思えた事が跨いだ瞬間分かりました。
実は1台、納車までの1年ちょっとショベルFLHを借りていまして、ハーレーには十分慣れていました。
跨いだ瞬間気付いた事は、なんと車高が極高い!両足がべったり着き膝も少し曲がる程度の車高のハーレーに慣れていたので、つま先ピョンピョンとなっていてびっくり!!
車高が高い上にシートの幅が広く股裂きピョンピョンなのでした。
これはまずい、これは乗りづらいぞ、とバイク屋に相談すると普通シートやショックアブソーバーもかえられる為に沢山アフターマーケットが盛んであるから、キャッシュバックされたらそこでいじってみては?と言われ、ならと納車初日にそうそうパーツ注文。
さすがハーレーそつがない!!というかそれだけ合わない人が多いのか!!w

そして少し経ってハーレーからキャッシュバックが小切手で送られて来たのですが、これまた小切手がかっこいい!!!ハーレーロゴが印刷されていてなんか取って置来たくなる位でしたね。
まあその後すぐ換金し、パーツの入れ替えに使ったのは言うまでもありませんけどね。w

第一次から始まり、10年はシートハンドルマフラーだけ交換で乗っていました。ただハンドルはゆうに10本は変えましたね。シートも何度も作り替えました。マフラーは安っいやつですが、サイクルシャックのターンアウトをぶった切ってシガータイプにしていました。こいつは今も付いています。



その後第2次から、フレームとタンクもちょっとやりだし、こうなりました。

こうなったり

この時期に動画アップの練習に使った映像がまだヨウツベに残ってました。よかったらどぞうぞ、10年前の自分も映っていてまだロンゲでしたね。
https://www.youtube.com/watch?v=ALMCQ4v2dPg

こんな時期もありました。

まあ最初からケチがついた感じとなりましたが、その後この思ったのとなんか違う感はこの後ず〜っと残りましたが、しかしながら、自分きっと始めから完璧な物よりどうしたらいいのか考えてあれこれするのが好きみたいで、悩みながらも現在に至っています。悩んでいじるのが楽しくなって行った感じですね。
これ違うな〜でもこうしたら?よし次はこうしよう!!とやっているうちに20年以上経ってしまいました。
ある意味大成功の一台でした。自分に合っていたんですね。
もちろんまだ売却はしてませんしする気もありません。つか売れないでしょうここまでいじったら!!w
なので今も現役で元気に走らせています。

現在の姿 ミッキーメーターがお気にい入り

しかしながら、また悪い癖?良い癖?か、また新たに新しい案が出ていじりたい衝動がうずうずしているんです。
先立つものが今なくなったのですぐではありませんが、ゆくゆくは必ずその案を成し遂げてみせます。納車から30年目でどうなっているか。いまから楽しみです。

次はこのバイクと並行して3台ありますので、7台目、8台目、9台目と行きます。

それでは、、、


青春バイク 6台目 初の大型です。1

さて青春バイクもそろそろ終わりです。
ここからのバイクは現在も所有しているバイク達で、このブログでも書いているのでそちらでも分かりますが、一応流れで全て書いておこうと思っています。

さて6台目はそう、ハーレーのダイナです。年式は95年モデル。

画像は探すまで借り物で、今見るとこれもアリだな。w

 でも購入は94年の10月です。93年に大型免許を修得して1年半の道程でした。
免許修得当初ハーレーでも大型国産車でもなんでもいいから大きなバイクに乗りたいと思っていましたが、やっぱりバイクに100万越えは簡単には考えられませんでした。ただ漠然と適当な感じで近場のバイク屋さんを回り出しました。中古かな〜、新車かな〜など適当に見て回る日々でした。

ある日前々から甲州街道高井戸にかっこいいハーレーが並んでいるバイク屋さんがあるのを見かけていて 、時間的余裕のある日ちょっとバイクを見せてもらおうと立ち寄りました。
そしてバイクを眺めていると、近づいてきたお店の店員さんの青年がおりまして、全くハーレーの事は詳しくない自分にも優しく色々教えてくれたのが印象深かったです。なにしろその前に立ち寄った、同じく甲州街道にあった古くからあるハーレー等の超有名店外車専門店陸◯モータースでものすごく嫌な対応されたばかりでしたので、かなりうれしく、ハーレー買うならここだなと心を動かされましたね。古くからある方のお店の顧客は多分お金持ちのおじさんが当たり前で、30過ぎですがロンゲで貧乏そう(事実ですけどw)なおれには身分不相応だと見た目で判断されたのでしょう。後にとても良い対応をしてくれた店員の青年とはひょんな事から再会し今では良いお友達です。

帰宅後雑誌等で色々調べ、最終的にハーレーならFXRが良いと判断しました。なぜなら、そう91年公開の映画マルボロマンの影響です。自分すぐ影響されるんです。w ミーハーですから!!!
そこでまた時間のある時優しい店員さんのいるバイク屋に向かい、FXRの購入計画を尋ねました。しかし、既にとき遅しで94年モデルの最終FXRは93年の時点で全て完売済みで次の入荷は無いとのこと。もう中古で94FXRを探すしかいとなりました。しかし自分にとっては多分最後のバイク、新車で手に入れたいと、帰りに違う店(このお店も甲州街道近くで、こちらも老舗のオートバイ屋さん。元々赤坂にあって外からかっこいい外車を良く眺めていました。そこの支店です。)に寄った所 そこで95年からなんとダイナモデルからスーパーグライドが発売されるとの情報があり、FXRとちがってフレームが昔のFX系に近い!!とのこと。なんかもう悩まずにすぐにじゃあローンって組めます?と動き始めちゃいました。ショベルのFXスーパーグライドも大好きなバイクで前にも書きましたが、田宮製は所有していたので、もうそれだ〜!!って気持ちになりましたね。早ければ94年の末前には入荷予定と聞き、その時乗っているバンデットを売って、足して頭にしてローン組めば行けそうな現実的な数字が出て来ました。それに今ならキャンペーンもあってなんと車体価格の10%をキャシュバック付き!お〜し!!ともうその場で予約まで入れちゃいました。

さて、 もうちょっと続けたくなったので、ここらで一旦切ってまた次回に、、、
それでは、、、

青春バイク 5台目

さて五台目となります。

先に書きますと、スズキのバンデットです。そうです、気になっていたバイクを速攻で買っちゃいました。色は黒でエンジン、ホイールなどがゴールドの限定車と聞いていました。このバイクの写真は撮ってませんでしたね。今思えばバイクの写真ってベスパ以外ほとんど撮ってなかったのが今となっ残念でなりません。

自分のとはハンドルが違います、低いセパレートが付いていました。

 大型を受けるにあたってまずは長い間右側通行の国にいたので 日本の道路にまた慣れないといけませんでした。その為なんか足になるバイクと探しましたところ、実家より歩いて数分の所にスズキのバイク屋さんができていて、そこにありましたバンデット。即決でしたね。やっぱ実物はかっこよかったです。綺麗な曲線を生かしたデザインは他のバイクと一線を記していたと感じました。このバイクはあまり遠出はしませんでした。ほとんど街乗りのみでした。でもパワーもオレには十分でしたし、けっこう自分が乗っている姿もかっこいいのかも?と悦に入ることが出来たバイクでしたね。良いバイクでした。

あたりまえですが、日本育ちですから左通行はすぐに慣れましたし、バイクの感もすぐ取り戻せまして、時間をあまり開けないで限定解除に向かいました。結局一回では受かりませんでしたが、ほとんど最後まで乗れたので気を良くして間髪入れず2回目をトライ。2回目で受かりました。難関の試験と思っていたのですごくうれしかったです。
何回も落ちている人もいるそうですが、多分態度ですね。その後出会ったライダーの多くは3〜5回程度が一番多かった気がします。みんな態度がというより大人ですね。簡単に受かっている人は大人が多かったです。自分はこの時点で30でバイク歴15近くで子供のいる大人です。落ちている人は自分は自分!みたいな人が多く、バイクの乗り方も癖を思いっきり出して、おれかっこいいだろう〜という乗り方の人が落とされていましたね。ニーグリップが基本ですが、この時代股を極限まで開くような乗り方がかっこいいと思っている人も多く。ニーグリップを全くしてない人なんかもいましたね。もちろんコースに出たとたん落ちて呼び戻されていましたから、ある意味不器用な生き方しているんだなと思いましたね。まあ若さがそうさせていると言う感じでもありました。

バンデットはとはこのあと数ヶ月でお別れとなります。その理由はもちろん大型バイクの購入の為です。時は93年、バブルは弾け、街は静まりかえり出した頃です。あのバブル時代の喧騒はどこに行ったのやら、平日でも休日でも車の渋滞が随分減った様に感じだした頃です。日本の行く末にちょっと不安が出て来たのもこの頃ですね。まあ日本より自分自身もでしたけど!!wwww そして家族も増えて本当に大型バイクなんて買うのは今の時期を逃したら一生無いだろうと思い実行に移しました。

ここまでが5台目です。
そして次は6台目となる初の大型車が来ます。

それはまた次回、それでは、、、、、アディオス アミーゴス!

2015年11月15日日曜日

青春バイク 番外ヨーロッパ変

24歳辺りからヨウロッパに足掛け7年近くいる事となったのですが、実際はオートバイは所有していません。車だけでした。
しかし結構バイクばかり眺めていましたね。
その中で一番きになったバイクはNYからきた男の子が乗っていた883です。
ハーレーです。ヨーロッパの夏によく見かけるのが北ヨーロッパ人のチョッパーですね。あの長〜いフォークのパッドケネディのみたいのです。で彼らの格好もそりゃあのバイカー仕様。ベストにジーパンの定番です。そんな中、自然体(バイカー然としてない)で883を乗りこなすのがかっこ良いい青年を良く見かける様になりました。自分が一人たたずんで音楽を聴いていたら現れたのが883の彼で何聞いているの?からはじまり同じ年ということで仲良くなりました。あまり大きな街ではなかったのでその後も彼が旅立つまでの1週間程度よく会いましたね。かれ曰くチョッパーも嫌いじゃないけど、走っていて楽しいのはスポーツだと言ってました。自分はハーレーと言えばFLHかローライダー(田宮製なら中学時代所有していました2台とも!w)位しか知らなく、またキャプテンアメリカやビリーのようなバイクのほうがどちらかと言えば好きだった自分にとって新鮮な意見でした。

あと余談ですが、他に新鮮な意見としては、[かの地」に住む「かの国人」の年上の友人と素晴らしいスーパーカーを一緒に見かけた時、自分はおおお〜!っってなりましたが、彼曰く、あんなの乗ってどうするの?荷物も人も運べない車なんて意味ないって言っていたのが目から鱗でしたね。
自分にとってはスーパーカーは絶対の存在。買えないのは甲斐性がないだけで情けない事、所有してないのに悪口を言うのは所有できない嫉妬からと決めつけていたのを、スーパーカーを作る「かの地」のスーパーカーを買えるほどの裕福な人がこういう事を言うんだと、愕然としましたね。バブル時代のバカ日本人ってオレの事だ!!金額で物を見ると言う事の浅はかさを痛烈に感じました。高い物は素晴らしい!ブランドは素晴らしい!と洗礼をうけ何も疑わなかった自分を恥じました。高いもの、ブランドは素晴らしいものも多いです!いえ素晴らしい物がほとんどです。でも、「必要なら」を付け加えないといけませんと気付かされました。
ここ数年テレビで芸人が番組で良い時計買ったり、車買ったりしているのを一時期見ましたが、悲しいです。まだそこに居るんだと思いますね。買うのは自由です。好きで持つのも自由です。でも高いを買えるようになった事を自慢したり、それをネタにしてお笑いを取るような。「金を使う遊び」を見て笑っている日本国民が沢山いるのかと思うと悲しくなります。どうかああいう番組が無くなります様に!!!と祈りたい気持ちです。

ちょっと怒り過ぎでしたね。w 話しを戻します。
その後その街を自分も離れもっと大きな大都市に移り住んだ頃。日本から友人が時々旅行で来て会う様になりましたが、彼らが日本の雑誌をおみあげに持ってくきてくれたこともあり。日本の雑誌に出ていたスズキのバンデットのかっこよさと言ったら!!見ほれましたね。日本の最新バイクをあまり見かけない国でしたので、あのフレームにやられました。昔憧れていたハリスやエグリのフレームのZ1に近いじゃない??これがノーマルで出したの?信じられませ〜ン!です。トラスフレームはかの地のばいくの方が先でしたが、これほど綺麗に見せるものではありませんでした。


そして他の号で見たやはり同じスズキでヨシムラとのコラボバイク、トルネード。



こいつにもやられましたね。完璧なフォルム。まんまレーサー。普通のGSX-Rのかっこわるい部分を綺麗に消し去ったマシン。かの地にもフルカバードのレーサー風はあるのですが、かっこよさはこっちが上です。色もいい!!あっちはまだ80s風でポップな色使い。ヨシムラは落ち着いた大人のバイクと見えました。
こんなのを見せられて、ばいくに乗りたい病がちょっとうずきましたね。日本じゃもうこんなんなんだ〜!!すげ〜〜〜日本!!こんなんが走っているのか〜!!羨ましい!!と嫉妬すら覚えましたね。www
住んでいた「かの地」もバイク熱は日本よりあるのですが、あまり街中で見かけないのが現状でした。良いバイクも沢山作っている国ですので、期待はしていたのですけどね。国土の割に国民が日本より少ないのからか、なかなか遭遇できなかった気がします。
 しかし「かの地」では知り合いのバイクにはいろいろ乗らせてもらったので、知識は豊富になりましたね。でも結局所有は一台もなかったです。つか必要がありませんでした。
なにしろ子供ができたので車の生活が基本でしたというのもありますね。いつでの子供と一緒がなにしろ楽しかったというのもバイク熱をちょっと冷ましていました。

その後子供が幼稚園入学と合わせる時期に帰国となりましたが、日本での生活の体勢を立て直して行けばバイクもどうにかなるぞ〜。「かの地」では大きなバイクも結構乗っていたので、日本に帰っても試験場の一発も怖くないぞ!!という気持ちで帰国して来ました。
この7年間はバイクを所有する事無く過ぎましたが。そろそろ自分の歳も中年30歳を越え、なにか事を進めるのはここを除いてないだろうなと、次のステップに移る時はこの時期しかないだろう!と決めての帰国でした。

さて次は帰国後での話しで、人生5台目となるバイクのお話です。

それでは!!ciao tutti!!!

2015年11月13日金曜日

青春バイク 4台目

さ〜て4台目です。ついに外車です!!
と言ってもスクーターですけど。www

あるときたまたま入ったオートバイ屋さんに飾ってあったVespaが気になったのがきっかけですね。
もう車があるので、遠出は車で普段の近場の足としてバイクも楽だろうな〜ってまた思いだしていました。モトコンポじゃ近場どころか近所のスーパー程度の距離以外は使う気もないし、2ケツもできないし、でもちゃんと跨ぐオートバイほどのは欲しくないし、簡単に乗れて2ケツで来てちょっと都内ならどこでもOKなのってちょっと大きめのエンジンのスクーターがいいんだろうな〜って思いましたが、この時代はお米やさんのラビットとかしかなく、それもとっくに生産は終わっていて、ちょうどいいスクーターというのがありませんでした。
50ccのスクーターは70年代後半からのロードパルから始まってパッソルなど山ほど出そろって来てはいましたが、125以上はほぼ無かった時期でした。スペーシーがすぐ後に発売されましたが、まあ後のスクーターブーム以降の人は信じられないでしょうが、スクーターはださかった!!w あんな物乗りたいと思いもしませんでしたね。じじいの乗る物でバイクじゃねーし!って事でした。まだ免許の取れないコゾー達には50スクーターが人気だったようですが、自分もう大人でしたしね。www

さて、何かバイクが欲しいと思っていた83年、新テレビドラマの探偵物語で松田優作演じる工藤がベスパに乗って登場するのを見て、やべえ!これならいいね!!ってことでバイク屋に飾ってあったベスパを思い出し、見にいくうちに、4速変速でクラッチもついているしでこれならバイクでもあると自分に納得させていて、買っちゃいました。
Vespa 200Pです。いろはブライトブルー。

ここらの写真は自分のがあるのですが、ちょっと見つからないので、それまでまた拾って来たのを載せます。


この拾って来た画像は200Pとなってましたが、日本では200PXとなるモデルですね。オイルの混合機がついているのがPXでシートの下にオイルの残量確認キャップが付いています。で自分の200Pはここがすっきりしています。あとテールランプがこれとは違います。

ヴェスパは楽しかったですね〜。十分速いし荷物も足元やキャリアを付けていたのでそこに置けるので結構な量を運べましたし。2ケツもOK。そして高速もOKです。しかしかなりの確立で止められましたね〜。w 当時200ccのエンジンを積んだスクーターは皆無でおまわりさんも知らない人が多く。スクーターでここに来ちゃだめでしょう!ってよく言われて止められて、いえいえこいつは200ccですから!ナンバー見て!って何度言ったか!!www 
ノーマルのまんまでも120km/hは出るので、高速では速くはないですが、車の流れには普通に乗れましたね。良いバイクでしたよベスパは。けっこう車の人がびっくりするのが楽しいので、足組んでたり、足元のスペースに身体入れて顔だけ出して走っていたりとかとにかく遊びましたね。www 
注目度も高く(テレビの影響)、街中で乗っていてその点も楽しかったです。
それでよく風景が似合う倉庫街や横浜赤煉瓦倉庫に行っては写真を撮って、で悦に入る。楽しみの一つとなっていました。w
その写真がどっかにあるはずですので、見つかりましたら差し替えます。

さてこいつとは結局3年近く所有するのですが、そのうち丸1年以上は乗らずに部屋にしまっていました。というのも免許を失効いたしまして、1年間乗らずの(乗れない)期間があって部屋に飾って磨くだけの一年がありました。ここでチャリのマイ第2次ブームがくるのですが、それはまたの機会に。その後ベスパは、免許再修得した後外に出してエンジンをかけたら3発位でかかりましたね。丸一年ホッっておいてもすぐかかったのにはびっくりでしたね。さすがヴェスパ(実用車w)と思いました。しかしながら時同じくして新しい車(中古ですけど)を手に入れて、そっちがあまりにも楽しいのであまり乗らなくなる運命でした。
結局当時部屋によく遊びに来る友人がほしがったので譲ることになり、これが4台目バイクの終わりとなります。

その後自分は日本を離れるので、日本でのバイク歴はここから7年消えます。

ここから先はヨーロッパ編となります。
青春バイクは暇なときに書いておこうと思ってましたが、ここ数日風邪引いたようですごい暇です。w 昼はそれでも仕事ですが、夜はどこにも出ていません。なので4台目まできてしまいました。あと数台で終わりもう終わりが見えちゃいましたよ〜!!w

はは、、それでは、次回。。。。





2015年11月12日木曜日

青春バイク 3台目

3台目はちょっと期間を開いての入手でした。

このころ友人からバイクを預かっていて、そいつが車に積んで出掛けるのを目的にしたプレジャーバイクでした。ホンダのモトコンポと言うバイクでハンドルとシートがたためて小さくなるバイクでした。


こいつはその後10年以上うちにありましたが、オレのではなくあくまで預かっていたバイクと言う事でカウントしません。10年位前にこいつをかわいいと言って再ブームになっていた時期がありましたね。だから知っている人若い人も多いと思います。が、こいつ、、、おせーバイクですよ!!w それに40kmでも怖い不安定さ!車に積めて出先でちょい乗りする以外は用は足しませんでしたね。w
このころよく当時の彼女や友達と車で出掛ける事も多く、モトコンポはかなりそう言う意味では役に立ちました。しかし50ccですから2ケツもできないので、もう一台似た様に車に積めるバイクを探しました。候補に上がったのは2機種。
ご存知モンキー。そして丁度その頃新車で発売されたヤマハポッケ。


ゴリラに乗っていてカブ系エンジンの耐久性は信じてましたが、何分にもノーマルは遅い。そこで2サイクルのこいつなら結構速いのではとポッケに決定。
いやーすげー楽しめました。結構速いです。このタイヤでも。ただ法定速度を大幅に越えるとやっぱかなり怖いです。(もちろん私は法律遵守する優等生ですから、クローズドサーキットでの最高速テストででの話しです。w)
ポッケもハンドルが畳めるモンキーのヤマハ版でした。普段はあまり乗らずに部屋に置いていて使いたい時に車に2台積んで山に海にかなりの頻度で出没したものでした。
良いバイクでした。簡単にウイリーしますし。パワーを出すとモトコンポを点に出来ます。w  しかしこれは長くは所有しませんでした。自分からしてみて乗っている姿がかっこわるい気がしたのです。大の大人がこんな10インチのタイヤじゃ〜ね。って事で一年も経たずに乗らなくなった冬に売却しました。まあまだモトコンポがうちにあったのでこれで十分でした。

これが3台目のバイクでした。

さて4台目は遂に外車を手に入れてしまいます。w
それはまた次回。

それでは、、、、

青春バイク 2台目

一台目はホンダのメッキゴリラでしたが、2台目となるバイクお話です。

メッキゴリラを売った後間髪入れずに中型バイクを探しましたが、売ったお金と持ち合わせを足してもたかだか10万程度しかなく、バイク屋を回ってもちょうどいいのが見つかりませんでした。
当時はネットなんてないので足で探すか、バイク雑誌の売買欄が頼みの綱でした。そして売買欄に10万で出ていた古いCBが目に止まり、トントン拍子にその日のうちに見せてもらう事になり、その日のうちに買って来てしまいました。
それが2台目のバイクCB350Fです。

またまた中古車屋からの転載です
時は1970年代の終わり辺り中型のホンダ車といえば、ホークですね。
コムスターホイールで今見るとなかなかかっこいいですが、当時はヤカンタンクに座布団シートと酷評していました。それにまたはCJ360もまだ売っていましたかな?


しかし既に4発は発売が終わっていて、最後の4発CB400Fは既に高嶺の花。どうしても4発に憧れていた自分は中古で見つけた4発で買えるのは当時は華がなかったCB350Fだけでした。他のメーカーもまったくこの時点では4発は発売していませんでしたし、あったのはイタリアベネリの4発だけで外車は買えるはずも無く論外でした。こないだ行った茂木にあるホンダの資料館になんとCB350Fは並んでいませんでした!!!w 残念!w

ベネリ350、自分のcbもフロントフォークがこのようにテレコスピックになっていたので すごく似ています。
 このあとちょっとしてFXとXJなどが売り出され、またまた4発ブームが来るのですが、この時点ではまだ未来の話でした。

色は写真と同じ赤でしたが、フロントフォークはベネリみたいにCB400Fのが付いていて、ゆくゆくはCB400Fの姿にカスタムするつもりでしたので、最高の素材を手に入れる事ができました。今の時代からは考えられないでしょうか、この時代は改造にかなりの制限ありまして、マフラーはもとよりハンドルも交換する事はできませんでした。なのでたとえCB400Fにそっくりにしても戻さないと車検をとる事は難しいという厳しいじだいでした。手に入れてから1年で車検が切れるのですから、貧乏な高校生がカスタムするなんて夢のまた夢の話しですね。なにしろ車検代すらなく、アルバイトに精を出してやっと車検とれたぐらいでしたから。今見たいにユーザー車検があればいいのですがね〜。
 しかしこいつにも海に山にいろんな所に連れて行ってくれましたね。でも本当に良く行ったのは六本木ですね。w 高校2〜3年時学業もおろそかに夜な夜なディスコに行く様になってまして、その足としてこいつは本当に役に立ちました。夜中こいつでナンパもできましたし!!w 車と違いますが、同年代から下はバイクでもかなり喜んでくれましたね。良い時代です。w

さてこいつの最後なのですが、高3の夏休み自分は進学は考えていなく家業を継ぐか六本木に骨をうずめるか、海外留学をも視野にいれ、日々遊んでいたのですが、w 。
当時府中で流行っていたゼロヨンを観に行き感化され、いつでもどこでもスタートの練習や素早いギヤチェンジの方法を模索していた過程で、やってしまいました。信号の無い交差点までに減速できず、交差点通過中 車のフロントにバイクの後ろを引っ掛けてしまい
すっ飛ばされてしまいました。交差点向かいの家の壁にまで飛ばされてしまったのですが、運良くそこは金網でそれがクッションになって怪我はヘルメットが飛ばされていたにもかかわらず、頭に数センチの縫い傷とあとは擦り傷打撲だけですみました。しかし後日現場を見に行くと、あと数センチずれていたら頭からブロックに当たって死んでいたかもしれませんでした。日頃悪い事ばかりしていましたが、この時は運命に感謝しましたね。

で、バイクは廃車にはなるほどではありませんでしたが、もう気分的にバイクはもういいかなってことになり後輩に8万で売っぱらいました。事故車を8万は高いとお思いでしょうが、当時は4発ブームがき出していて誰もが4発に乗りたがって結構の高値でも売れましたね。ハンドルとマフラーだけがダメで後は問題なかったのも売れた要因でしょう。だれもがその部分は改造する予定でしたしね。
そうしてこれが2台目のホンダCB350Fの最後となり自分の中の第一次バイクブームは終わりを告げました。歳的にも18歳 で車の免許を取りに動き出したのも大きな要因でした。
でもよく考えるとここまでたった3年程度の話しですね。若い頃は1年がどんだけ長かったのか思いだします。いまじゃあっという間ですけどね。w

さて次にマイバイクブームが来るのが21歳ですね。また50から再スタートとなります。
その話しは次回に。

それでは、、、

2015年11月11日水曜日

青春バイク 暇なときのバイク遍歴 1台目

雨ですね〜、バイクもsk8もBMXも乗れません。
暇ですね〜、ネットジャンキー化しています。
FBで繋がりのある某バイク雑誌編集長が自己のバイク遍歴をあげているのですが、かなり面白いです。やっぱり人それぞれのバイク歴ってのがありますね。
じゃあおれも!!って事で人まねコザル化します。w
お題の「青春」も人まねです。www (能登の友人のFBより)

自分はそんなすごい台数乗っているわけじゃないので、すぐ終わってしまいそうなので
小分けで行きますので暇なときにでも読んでください。

それでは、まずは最初は、バイクという物に触れた話しからで、
小学生の頃近くに住む親戚が牛乳販売店を営んでいまして、そこに一台配達用のカブがありました。その販売店の前の道路は私道でそこで初めてバイクに触れ走らせ動作を覚えました。同じくトラック(ダットラ)もあり小学生で車のクラッチ操作までは覚えました。
今思えば親戚のおじさんはかなりやんちゃでしたね。w もうとうに亡くなっていますし時効でしょうが、おじさん車もバイクも免許持ってなくて車やバイクで商売していましたよ。www  人生(悪い方面)を教えてくれた大事なおじさんでした。そういや牛乳瓶の蓋を掛け金にして花札も教えてくれましたね。もう忘れてしまいましたが、悪いおじさんでした!!w

その後、お受験組だったので塾に通い出すのですが、ここにも伏兵が!!!w
そこの先生なんですがバイクに乗っていまして、乗っていたのがGS400。
広報写真より転載
 1976年自分は14歳でした。これがちゃんとしたバイクの最初の接近遭遇です。塾が終わってからこれで週に数回バイクの練習をさせてもらい、16になり免許取ってこれに乗るんだと心に決めていました。
この時代詳しい事は忘れましたが、免許は試験場で1発が基本で多分中型大型に別れて無かったと思います。

 ちょっと調べました。
[1960年以降、現在の大型二輪免許に相当する免許は「二輪免許」で、250ccを超えるオートバイの区分であった。また、軽免許の上位免許として、360cc以下の軽三輪車と軽四輪車を運転できた。1965年9月1日に 軽免許(二輪車は250cc以下、三輪車と四輪車は360cc以下)が廃止されて二輪免許の区分が50cc超に変更されたことにともない、この時点で小型 特殊免許と第一種原付免許以外の運転免許(軽免許を含む)を保有していた者に付帯免許として与えられた(いわゆる「ポツダム免許」)。これにより、現在 68歳以上の人の中にはオートバイの乗車経験が無くても大型二輪免許を持っている場合がある。1965年から普通免許、大型免許では原動機付自転車(50cc以下)しか運転できなくなった。二輪免許の技能教習と技能試験は125ccの教習車を用いるように変更され、1972年には教習車は400ccに戻された。
1975年より運転免許試験場での技能試験または自動二輪免許(中型限定)からの限定解除審査の合格者のみに交付された(いわゆる「一発試験」)。しかし、その合格者数は概ね全受験者の1%であったため「司法試験より難しい」と揶揄されるほど極めて難関で、限定の無い二輪免許そのものが高嶺の花となった状況が続いた。 ウィキより)

あ、もう76年には別れていたんですね。
中学時代に小学校の同窓会に行った時、私が通っていた学校は私立で一学年の学生も少ないので歴代の学年全て参加の形での合同同窓会というのがありました。その時3〜4つ上の先輩2人がZ2 2台で乗って来たのですが、これがかっこ良かった!まあバイクへの憧れが一段と募ったものでした。

そして16歳になる半年前から学校帰りに寄れる教習所に通い出し、普通は受験勉強で大変な時期である中3のほとんどを免許への道に使いました。ありがたい事に自分はエスカレーター学校に通っていたので受験がありませでした。
免許の事は親は知っていましたし、学校でもうちは通学は禁止されてましたが持つのは禁止されてないので、バイクに乗る先生とはよくバイク談義に華をさかせていましたね。
時代は1970年代暴走族全盛の頃ですが、うちの学校はボンボン学校でしたからそんな悪いヤツがいなかったからですかね?かなり緩かったです。
そして親も、親の車などを整備するガソリンスタンドが親の友人でして、中学の頃から自分はちょくちょくそこでアルバイトさせてもらっていた関係で、そこの社長が、原付じゃあぶないから免許取るなら中型にした方がいいという口添えもあり、うちの親も免許に関しては何も言わなかったですね。ただ買うのは50までと言う制約はありました。

まあそんなこんなで中型を取ったのですが、高校入学までの間の春休みにバイトしましたが、免許で金を使ってしまったので、残りで買えるバイクはやっぱり原付程度でした。
そこで目を付けたのはクラッチがある原付、当時は結構ありました。ミニクロ、GT50、CB50、ダックス、モンキー(これはロータリーだがクラッチ仕様にできるパーツがわんさか出てました)、 バンバン、マメタンというのもありましたね。そしてゴリラ!

丁度その年メッキのゴリラが販売され、飛びつきましたね!ピカピカ〜!!w
これが一台目です。
中古車屋からの転載
これで高1の夏は飛び回りました〜。この時期からサーフィンも始めていて、こいつで都内から板の置いてある伊豆吉浜まで月に何度も往復したものでした。もちろん50ですから下道ですよ!!でも苦にならなかったですね〜。バカですね〜。今じゃとてもじゃないけどできませんね。w このバイク9Lのタンクでしたので無給油で200kmは軽かったのが幸いして、夜中出発でも怖くなかったです。当時は深夜営業のGSなどなく、もしガス欠ならGS前で開くまで仮眠ってもんでした。おおらかな時間の過ごし方でもありましてね。
その後1年乗って、やっぱり中型欲しいとこいつは仲の良いいとこ(悪い叔父の子w)に売りました。

さてもう既に長文になってしまいましたが、まだ1台目。www
続きは次回。中型を買うの巻です。www

それでは、、、、

2015年11月5日木曜日

マイクバレリーが来日!!

詳しい友人に因ると13年ぶりだそうです。
東京を皮切りに日本を横断するみたいです。
初日行って来ました!!!渋谷ストーミー!


やばい!!格好よ過ぎです!!

友人の地元ローカルレジェンド I IさんのMA1がすごいのですが、バレリーもいたく気に入って自ら動画撮っていました!!


そして自分も板とDVDにしっかりサインしてもらって一緒に写真撮らせてもらって握手して最高の一日でした。

翌日は新宿ムラサキにてサイン会したそうで、その時の模様をI Iさんが動画上げたのを転載します。やばいです!ハンドプラントのあの足の角度最高です!!!




2015年11月1日日曜日

漫画好きですか?

漫画好きですか?自分も好きです。
ここ最近読んだ中で気になった作品を少しご紹介。
50過ぎても読めた漫画です。

まず、三部けい作 [僕だけがいない街]


おもしろかったですね。王道じゃない推理系になるのかな。

そして石川優吾作 [スプライト]





もう終わったのかな?自分はまだ途中ですが、これもアイデアが面白い。

太田垣康男×C.H.Line 「 Front Mission Dog Life & Dog Style 」





宇宙世代の今の男の子にはたまらん内容ですね。大好きです。
太田垣康男先生は他にも「MOONLIGHT MILE」も「機動戦士ガンダム サンダーボルト」も最高の面白さでしょうね。すごく面白かったです。

そして浅野いにお [おやすみぷんぷん] もなんか良かったですね。
内容的には暗いのですが、最後までが〜と読めました。


さて、作家のア行は、、、
井上雄彦は全部まちがいないですよね。他に、、浦沢直樹も全部、奥浩哉も全部で 「いぬやしき」も面白いですよね。 岩明均も全部、荒川弘も全部。

押見修造 [惡の華]

これもぷんぷん系の暗いやつでしたが、好きですね。

大塚英志もサイコも黒鷺死体宅配便もいいですね。

そして最も最近読んだのが。

若い人には今更でしょうが、小畑健×大場つぐみ [バクマン]


ジャンプ系はもう10年は遠ざかっているので今まで読まずにいましたが、面白いですね。ちょっと文章を読むのに疲れる中盤もありましたが、おじいさんが読んでも面白い
 まんがでしたね。

まあまだまだ自分にとって面白いのが沢山ありますのでちょっとづつ、おじいさんでも読んでる漫画ご紹介します。